エジプト出身力士・大砂嵐さんの講演会に行ってきた!

Photoおととい、国際交流基金の四ツ谷事務所で開催された、エジプト出身力士・大砂嵐さんと、その師匠である大嶽親方(元・十両大竜)の講演会に行ってきました。大砂嵐さんはアラビア語で語り、通訳(この方がすごいイケメン!)がついての講演でした。

大砂嵐さんは、14歳のときに相撲と出会い、以来、相撲のとりこに。国で道場にも通って相撲を取るようになったといいます。でも、インターネットで日本の相撲を見ると、どこか違う。ある日、コーチに聞くと、「俺達がやってるのはアマチュア相撲だ。日本の相撲はプロ。プロとアマは違うんだよ」と言われ、やがて、日本に行き、大相撲の世界に入りたい、と思うように。

でも、最もハードルが高かったのが「最初の入り口を見つけること」でした。実は、日本の大相撲界には「外国人力士は1部屋に1人」という「申し合わせ(親方同士で決めている暗黙のルール)」があります。そのため、入れる部屋は限られる。当時、外国人力士がいない部屋は12、3しかなかったそうで、その部屋に手紙・メールを送ったといいます。でも、ほとんどの部屋からは返事がなく、唯一、返事があったのが大嶽部屋でした。ただ、当時、大嶽部屋は先代・大嶽親方(元貴闘力)の問題でガタガタしていて、とても外国人力士を受け入れられる体制ではなく、お断りの返事だったのだそうです。

ただ、大砂嵐さんは、それでも諦めず、まずは欧州大会で実績を積もうと考え、多くの大会で優秀な成績を残すことを優先させました。そして、その実績を引っさげて2011年9月に来日。とはいえ、入門のあてがあったわけではなく、直接、部屋を回り、入門させてください、とお願いするという作戦に出ます。最初の3つの部屋は、外国人力士はいないと思っていたら、すでにいることがわかりNG。「うちは外国人、とらないから」と、けんもほろろに断った部屋(どこだ!ヽ(`Д´)ノ )もあったそう。そして、7つ目に回ったのが大嶽部屋でした。

大嶽親方は、前に手紙が来ていたこともあり、「そんなに言うなら」と、まずは1カ月、部屋で一緒に生活をしてみて、どんな青年か、本当に日本でやっていけるのか、見極めてから入門させようと思われたそう。九州場所も近いので、九州の宿舎に連れていき、まず毎朝、トイレ掃除をするよう、命じました。トイレは親方の部屋の前にある。すると、毎朝4時になると、掃除をして水を流す音が聞こえてくる。毎朝4時起きで掃除を続けるのは大変なこと。相撲にかける気持ちも強いことがあらためてわかり、そこで入門を許可しました。

「日本の相撲の世界に入りたい、横綱になりたい、そういう夢を持った青年の手助けをするのも、私の役目かもしれない、と思ったんです」と大嶽親方(ここで私、落涙。よくぞ、入門を許してくださった……)。

大砂嵐さんは、デビューするや、序ノ口でいきなり7戦全勝優勝。でも、大嶽親方は「いきなり優勝したからといって奢るな。初心を忘れ、強いから何をしてもいいという態度になり、人が離れていったヤツをたくさん見てきた。お前はそういう力士になってはいかん」と諭したそう。

「日本人、外国人も関係ない。強いにこしたことはないけれど、強い、弱いも正直、どうでもいいんです。強くても謙虚で感謝を忘れない。私は、そういう『人として尊敬される力士』を育てたい。大砂嵐にもそういう力士になってほしいんです」と大嶽親方(ここで、私、また落涙)。

大嶽親方は、元十両の大竜。相撲界において、十両だった人が部屋を持つことは大変なこと。しかも、継承したのは、あの名横綱・大鵬さんが創設した部屋。この継承するにあたっての話も、また涙ものだったのですが、長くなるので、ここらへんで、いったん、やめておきます。(^_^;)

大嶽部屋に興味を持たれた方、こちらが部屋のサイトです。ここの大嶽親方のメッセージも泣ける……

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蒼国来関、本当におめでとう!

今日4月3日、相撲協会において、臨時理事会が開かれ、正式に蒼国来関の土俵復帰が決まりました。理事会の後、北の湖理事長からは謝罪の言葉があったということ。

 

また、なぜ、このような「冤罪」ともいうべき事態になってしまったのか、これからあのときの調査が妥当であったのか、検証もなされるということです。

 

まさに完全勝利です。

 

これで、やっと、本当に「エンさん、おめでとう!」と言えます。思い切り、土俵で暴れてください。いい相撲を見せてください。それを何より楽しみにしています(でも無理しないでね……(^_^;))。

外部調査委員のこと、裁判で聞いた許せない言葉などに対して、いろんな思いはあるのですが、今日はいろいろ考えず、 乾杯したいと思います。

おめでとう、エンさん! ( ^ ^ )/□☆□\( ^ ^ )

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その3)

(前回の続きです)

蒼国来関土俵復帰を嘆願する大相撲ファン2万3118名分の署名を、相撲協会に無事提出し、勝手連はその足で、夕方5時半からロイヤルパークホテルで行われる、蒼国来関本人の記者会見場に向かった。ちなみにこのロイヤルパークホテルは、蒼国来さんが十両に昇進したときに祝賀パーティーが開かれ場所だ。

Img_1525会場に着くと、各社テレビのカメラがすでにセッティングされて、記者席も8割方、埋まっていた。やはり注目の判決だったのだったことが伺える。

勝手連も青いTシャツを着たまま、記者席の後ろのほうの席に控えて会見を聞くことにした。

時刻になり、席が整えられると、弁護士先生6人とともに蒼国来さんが入場。地裁を出たときと同じ、薄い緑色の着物が、カメラのフラッシュを受けてひときわ美しく見えた。表情はというと、幕内力士としての地位が確認されたという判決を受けたからか、関取らしい、きりっとした勝負師の威厳を取り戻しているように見える。

冒頭、勝訴を受けて「やっとこの長い2年間で、こういう結果が出ましたが、それでもあの日のことは一時も忘れてないし、一日も早く土俵に戻りたい」と語る蒼国来関。一貫して主張してきたことで、まったくブレることがない。

その後、約30分、記者会見は続くのだが、記者会見の全文は、蒼国来関本人のサイトにあるので、ここで説明するより、そちらをお読みいただいたほうが、内容はよくわかると思います。ぜひ、お読みください。

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記者会見を見ていて、気になったことが一つあった。勝訴の判決を聞いて地裁の外で写真撮影があったときもそうだったのだが、私が見る限り、この日、蒼国来さんの、いつもの笑顔を未だ見ていない気がした。蒼国来さんは、決して笑わないわけではなく、囲む会などで話をしているときはむしろ、よく笑うし、とても素敵な笑顔の持ち主だ。

実は、記者会見が終わった後、青いTシャツを着ていたせいか、とあるワイドショーの取材クルーにカメラを向けられ、「勝訴したときの蒼国来さんの様子はどうでしたか?」と聞かれた。普通は「とても嬉しそうでした」とか、答えるほうがストーリーになるのだろうけれど、どうしても、そう答えられなかった。「うーん、緊張されているのか、あるいは勝訴は当然と思っていたからなのか、それほど嬉しそうな表情では……」とかしか、答えられなかったのだ。

後日、判決を控えた3月上旬に受けたという、あるインタビュー記事を読んで、笑顔が見られなかった理由がわかったような気がした。その記事(毎日新聞3月27日朝刊。ただし東京版では記事は掲載されておらず、滋賀の方のツイートで知りました)では、記者の「判決が楽しみか?」という問いに、「あんなひどいことをされて勝訴しても喜ばないと思う」と答えている。

本人にとってみれば、理不尽なことに巻き込まれ、しなくてもよい戦いを強いられ、2年という貴重な時間を奪われたのだ。この言葉は、重い、重い意味を持つ。

でも、インタビューには、その続きがある。引用させていただく。

「でも、2年が戻ってこないといって落ち込んでいては駄目。前向きにいく。」

「1番も勝てなくても、そこから立ち上がるのが私の人生。」

蒼国来関の土俵復帰は、4月3日、相撲協会が開く臨時理事会で正式決定する見込みだ。復帰場所がいつになるかは、これからだと思うが、たとえ1番も勝てなくても蒼国来さんは諦めないと思う。この裁判を戦い抜いたように。

そして、勝手連は、引き続き、そんな蒼国来さんの応援団になる。(了)

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その2)

(昨日の続きです。)

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東京地裁前で、勝訴を勝ち取った蒼国来関を見送った後、勝手連は、後援会の方々と一緒に両国国技館へと向かった。目的は、国内外からいただいた、蒼国来関土俵復帰を願う2万3118名分の署名を、日本相撲協会に届けるためだ。

署名は、厚さ15センチほどのものが3冊。人づてで2万1812名分、勝手連が集めたものを含む街頭署名960名分、そしてWEB署名346名分。多くの人の思いがこもった、ずっしりと重い3冊。ちなみに綴じてあるひもの色は、蒼国来関の「蒼」である。ひもは、願いを込めて、関取自ら結んだのだという。

Img_1521 国技館前に到着するものの、正門はぴったり閉じられていた。そこで、場所開催中、力士や関係者が出入りする南門で警備員さんに署名を届けにきた旨を伝えると、警備員さんが協会事務局に連絡を入れる。受け取りを拒否されるかもしれない、とドキドキしたが、勝訴した暁には署名を提出に行くことを事前に伝えてあったこともあり、すんなり「どうぞ中へ」ということになった。

後援会長と勝手連代表2人が手分けして3冊を持つ。協会事務局は相撲博物館の向かいにある。3人が中へ入ると、紺色のジャンパーを来た親方が対応に出てくれた。山科親方だ。

「本日、東京地裁にて、蒼国来関勝訴の判決が出ました。これを受けて、相撲協会におかれましては速やかに蒼国来関の土俵復帰を認めていただくよう、ここに大相撲ファン2万3118名分の署名を以ってお願いいたします」といって差し出す署名を、山科親方がしっかり受け取ってくれたのが、ガラス越しに見えた。

署名を渡して事務所の外に出た3人をメディア各社が囲む。後援会長が、「司法ではっきりと解雇無効と幕内力士の地位が確認されたのだから、協会には英断を下してほしい。我々は相撲協会を敵視しているわけではない、温かく蒼国来を迎えていただければありがたい」ということを語っているのが記者の肩越しに聞こえてきた。

南門を出ると、今度は勝手連代表のH氏がメディアに囲まれる。ちなみに、この日のH氏のネクタイの色も蒼国来関の「蒼」だ。 コメントを求められて答えるH氏(このニュースの最後に映ります)。

ここで、私も公共放送の記者から取材を受けた。カメラを向けられるというのはものすごく緊張する。「相撲協会には変わってほしいですよね」という質問に、「ファンの声を聞いていただいて早く復帰を認めてほしい。支援者である私たちは協会に敵意をもっているわけではない。そこは蒼国来さんが戻るところなので……」といったようなことを答えたことを覚えている(が、ニュースで放送されたかどうかはわからない…^^;)。

署名を無事提出した支援者。次は、ロイヤルパークホテルで開かれる蒼国来関の記者会見場へと向かった……(続く……)

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その1)

2013年3月25日(月)、午後3時、東京地裁527法廷――先に着席していたのは相撲協会側代理人3人。いつもと変わらない、やる気があるのか、ないのかわからないような表情だ。

その後、原告・蒼国来関側の弁護士先生方6人と蒼国来関が颯爽と入廷し着席する。蒼国来関は、春らしい薄い緑色の着物姿。頭には力士の象徴である髷がきれいに結われてのっている。だが、眉間にちょっとシワが寄り、口もきゅっと結ばれ、表情は緊張しているように見える。

裁判長が入廷し、冒頭2分、ニュース用の法廷映像を撮るための撮影が入る(これがニュースで流れた映像)。身じろぎするのさえ憚れるような静寂に法廷は包まれた。

撮影が終わり、「その判決」は、2年あまりかかった裁判にしては、あまりにも短く、あっさりと裁判長の口から言い渡された。――「主文。原告の幕内力士としての地位を確認する(緊張しすぎていたので、正確には覚えていないのだが、「地位確認」という言葉が聞き取れた)」。その後、幕内力士であると認定される時期と、その間の給与の支払い金額が読み上げられた。

主文の読み上げは、おそらく2、3分のこと。一瞬、この主文の意味がわからなくて、支援者同士、顔を見合わす。退廷して廊下で、蒼国来関側のF弁護士の「完全勝訴だよ。幕内力士としての地位が確認された」という言葉を聞き、やっと「勝訴」だということが確認できた。

速報を待っている仲間がいるので、「【速報】蒼国来関、勝訴!」をツイートする。が、建物内は圏外なのか、ツイート失敗。5階から下に降りるエレベーターが遅く感じる。建物の外に出てやっとツイートを流すことができた。

地裁の外に出ると支援する人たちが青いTシャツを着て待っていた。支援者たちの前に、勝手連の中心となって活動してきたH氏が「勝訴」の垂れ幕をもって現れる。H氏は、見かけはクールで、普段、あまり感情をあらわにしない印象(心はものすごくアツいのだけれど……^^;)だったのだけれど、そのH氏の目が赤くなっていた。それを見た瞬間、私の涙腺も崩壊した。

続いて、弁護団と一緒に蒼国来関が現れる。支援者から「エンさん、おめでとう!」の声が飛ぶ。その横で、「よかった、ほんとによかった……」と涙を流しながら抱きあう支援者たちの姿。一緒に国技館横で署名活動をした仲間の姿もある。この日のために島根から駆けつけた仲間、乳飲み子をだっこして駆けつけた仲間、来月出産を控える仲間……。

エンさんを囲む支援者たちの姿を報道各社が写真撮影。それが翌日の各社新聞に大きく掲載された写真だ。

判決の際は、実は主文のほかに判決理由が書かれた長い文書が裁判所から渡される。蒼国来関と弁護団はそれを確認してから記者会見に臨むため、地裁を後にした。我々勝手連はそれを見届けて、その足で、相撲協会のある両国国技館に向かった。蒼国来関の土俵復帰を求める、国内外から集まった2万3118名にも上る署名を協会に渡すために……(続く)。

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