日本語教育能力検定試験の対策本、2冊、編集・執筆しました

日本語教育能力検定試験関連の本、編集・執筆に関わったものができあがったので紹介します。(その1)
受験者の間で「バイブル」ともいわれるムックの平成29年度版です。
日本語教育能力検定試験は、範囲が広いので、まずは試験の概要をつかむことが重要。それには最適な1冊だと思います。過去の出題傾向などを反映した問題を解きながら、問われやすい事項を押さえられるのはもちろん、試験の目的、受験までの流れ、合格者の勉強法、模擬問題なども掲載されているので、1冊読めば、試験の枠組みが理解できると思います。
今回、私が担当したのは、試験IIIの最後に控える記述式問題の部分。
担当の先生が作成してくださった問題に対する解答例を作成しました。
記述式解答で求められるのは、実施団体のサイトによると、以下のように書かれています。
「『言語にかかわる事象』や『教育実践の方法・内容』などに対する考えや主張を問います。考えや主張の是非ではなく、その伝え方を論理性と日本語力の面から測ります。」
私の理解では、記述式解答で求められているのは、立場を、説得力のある客観的な根拠とともに正確な日本語で述べること。その辺りを意識して解答を作成しました。
対策が後回しになりがちな分野ではありますが、述べるにふさわしい「型」みたいなものがあるので、それを押さえるのが早道。あとは練習を繰り返せば、高得点が望めます。
「主張の是非は問わない」ということなので、奇抜でユニークなアイディアを述べようとしてすべるより、まずは論述文で述べるにふさわしい内容とは何かを押さえてから、練習・訓練するのが得策だと思います。その辺りも解説に書かれているので、ぜひご一読を!
なお、受験者が論理的な解答を書けることは合格するためにも必要ですが、実は教えるようになってから、学習者の作文や論文を添削する立場になったときに必要になる力であるともいえます。もっと力を付けたいという方は、併せてこちらの本もどうぞ。
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日本語教育能力検定試験関連の本、編集・執筆に関わったものができあがったので紹介。(その2)
受験生の間で「赤い本(赤本)」と呼ばれている問題集。その改訂版です。
「教科書」と銘打ってあるとおり、検定試験に必要な項目・知識を全分野にわたって網羅し、解説してあります。
今回、私は、全般にわたっての編集補佐という形で、関わらせていただきました。
本の大きな特徴としては、合格に必要な知識を絞り込み、問われやすいポイントや過去の出題事例などをわかりやすく示したということ。また、説明は図や表、イラスト、箇条書きを効果的に使い、かなりコンパクトにまとめられていると思います(原稿段階で、「ここまでは検定試験には必要ではないのでは?」というところをカットしたりということも、正直、ありました…^^;)。
また、年によって変動がある統計数字などは、WEBと連動させて、随時、新しいものを参照しやすくしたことも特徴といえるでしょう。
検定試験に関しては、合格してもメリットがないとか、実践力が測れないから不要という論をたまに見かけるのですが、私は、教えるための基礎力として、やはり検定試験に出題される範囲の知識は必要だと考えます。なぜなら、知識は現場での、よりよい実践を支える力になると思うからです。また、現行の教え方を批判的に見るにしても、基礎知識なしにはできないとも思います。
今回、検定試験対策本、たまたま同業他社の本2冊に関わらせていただくことになりましたが、どこの社のためということにとどまらず、これから日本語教師を目指す人、検定に合格したい人に役立てばという思いで作業に取り組みました。現場で役立つ知識を身に付ける一助になれば嬉しいです。

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エジプト出身力士・大砂嵐さんの講演会に行ってきた!

Photoおととい、国際交流基金の四ツ谷事務所で開催された、エジプト出身力士・大砂嵐さんと、その師匠である大嶽親方(元・十両大竜)の講演会に行ってきました。大砂嵐さんはアラビア語で語り、通訳(この方がすごいイケメン!)がついての講演でした。

大砂嵐さんは、14歳のときに相撲と出会い、以来、相撲のとりこに。国で道場にも通って相撲を取るようになったといいます。でも、インターネットで日本の相撲を見ると、どこか違う。ある日、コーチに聞くと、「俺達がやってるのはアマチュア相撲だ。日本の相撲はプロ。プロとアマは違うんだよ」と言われ、やがて、日本に行き、大相撲の世界に入りたい、と思うように。

でも、最もハードルが高かったのが「最初の入り口を見つけること」でした。実は、日本の大相撲界には「外国人力士は1部屋に1人」という「申し合わせ(親方同士で決めている暗黙のルール)」があります。そのため、入れる部屋は限られる。当時、外国人力士がいない部屋は12、3しかなかったそうで、その部屋に手紙・メールを送ったといいます。でも、ほとんどの部屋からは返事がなく、唯一、返事があったのが大嶽部屋でした。ただ、当時、大嶽部屋は先代・大嶽親方(元貴闘力)の問題でガタガタしていて、とても外国人力士を受け入れられる体制ではなく、お断りの返事だったのだそうです。

ただ、大砂嵐さんは、それでも諦めず、まずは欧州大会で実績を積もうと考え、多くの大会で優秀な成績を残すことを優先させました。そして、その実績を引っさげて2011年9月に来日。とはいえ、入門のあてがあったわけではなく、直接、部屋を回り、入門させてください、とお願いするという作戦に出ます。最初の3つの部屋は、外国人力士はいないと思っていたら、すでにいることがわかりNG。「うちは外国人、とらないから」と、けんもほろろに断った部屋(どこだ!ヽ(`Д´)ノ )もあったそう。そして、7つ目に回ったのが大嶽部屋でした。

大嶽親方は、前に手紙が来ていたこともあり、「そんなに言うなら」と、まずは1カ月、部屋で一緒に生活をしてみて、どんな青年か、本当に日本でやっていけるのか、見極めてから入門させようと思われたそう。九州場所も近いので、九州の宿舎に連れていき、まず毎朝、トイレ掃除をするよう、命じました。トイレは親方の部屋の前にある。すると、毎朝4時になると、掃除をして水を流す音が聞こえてくる。毎朝4時起きで掃除を続けるのは大変なこと。相撲にかける気持ちも強いことがあらためてわかり、そこで入門を許可しました。

「日本の相撲の世界に入りたい、横綱になりたい、そういう夢を持った青年の手助けをするのも、私の役目かもしれない、と思ったんです」と大嶽親方(ここで私、落涙。よくぞ、入門を許してくださった……)。

大砂嵐さんは、デビューするや、序ノ口でいきなり7戦全勝優勝。でも、大嶽親方は「いきなり優勝したからといって奢るな。初心を忘れ、強いから何をしてもいいという態度になり、人が離れていったヤツをたくさん見てきた。お前はそういう力士になってはいかん」と諭したそう。

「日本人、外国人も関係ない。強いにこしたことはないけれど、強い、弱いも正直、どうでもいいんです。強くても謙虚で感謝を忘れない。私は、そういう『人として尊敬される力士』を育てたい。大砂嵐にもそういう力士になってほしいんです」と大嶽親方(ここで、私、また落涙)。

大嶽親方は、元十両の大竜。相撲界において、十両だった人が部屋を持つことは大変なこと。しかも、継承したのは、あの名横綱・大鵬さんが創設した部屋。この継承するにあたっての話も、また涙ものだったのですが、長くなるので、ここらへんで、いったん、やめておきます。(^_^;)

大嶽部屋に興味を持たれた方、こちらが部屋のサイトです。ここの大嶽親方のメッセージも泣ける……

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蒼国来関、本当におめでとう!

今日4月3日、相撲協会において、臨時理事会が開かれ、正式に蒼国来関の土俵復帰が決まりました。理事会の後、北の湖理事長からは謝罪の言葉があったということ。

 

また、なぜ、このような「冤罪」ともいうべき事態になってしまったのか、これからあのときの調査が妥当であったのか、検証もなされるということです。

 

まさに完全勝利です。

 

これで、やっと、本当に「エンさん、おめでとう!」と言えます。思い切り、土俵で暴れてください。いい相撲を見せてください。それを何より楽しみにしています(でも無理しないでね……(^_^;))。

外部調査委員のこと、裁判で聞いた許せない言葉などに対して、いろんな思いはあるのですが、今日はいろいろ考えず、 乾杯したいと思います。

おめでとう、エンさん! ( ^ ^ )/□☆□\( ^ ^ )

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その3)

(前回の続きです)

蒼国来関土俵復帰を嘆願する大相撲ファン2万3118名分の署名を、相撲協会に無事提出し、勝手連はその足で、夕方5時半からロイヤルパークホテルで行われる、蒼国来関本人の記者会見場に向かった。ちなみにこのロイヤルパークホテルは、蒼国来さんが十両に昇進したときに祝賀パーティーが開かれ場所だ。

Img_1525会場に着くと、各社テレビのカメラがすでにセッティングされて、記者席も8割方、埋まっていた。やはり注目の判決だったのだったことが伺える。

勝手連も青いTシャツを着たまま、記者席の後ろのほうの席に控えて会見を聞くことにした。

時刻になり、席が整えられると、弁護士先生6人とともに蒼国来さんが入場。地裁を出たときと同じ、薄い緑色の着物が、カメラのフラッシュを受けてひときわ美しく見えた。表情はというと、幕内力士としての地位が確認されたという判決を受けたからか、関取らしい、きりっとした勝負師の威厳を取り戻しているように見える。

冒頭、勝訴を受けて「やっとこの長い2年間で、こういう結果が出ましたが、それでもあの日のことは一時も忘れてないし、一日も早く土俵に戻りたい」と語る蒼国来関。一貫して主張してきたことで、まったくブレることがない。

その後、約30分、記者会見は続くのだが、記者会見の全文は、蒼国来関本人のサイトにあるので、ここで説明するより、そちらをお読みいただいたほうが、内容はよくわかると思います。ぜひ、お読みください。

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記者会見を見ていて、気になったことが一つあった。勝訴の判決を聞いて地裁の外で写真撮影があったときもそうだったのだが、私が見る限り、この日、蒼国来さんの、いつもの笑顔を未だ見ていない気がした。蒼国来さんは、決して笑わないわけではなく、囲む会などで話をしているときはむしろ、よく笑うし、とても素敵な笑顔の持ち主だ。

実は、記者会見が終わった後、青いTシャツを着ていたせいか、とあるワイドショーの取材クルーにカメラを向けられ、「勝訴したときの蒼国来さんの様子はどうでしたか?」と聞かれた。普通は「とても嬉しそうでした」とか、答えるほうがストーリーになるのだろうけれど、どうしても、そう答えられなかった。「うーん、緊張されているのか、あるいは勝訴は当然と思っていたからなのか、それほど嬉しそうな表情では……」とかしか、答えられなかったのだ。

後日、判決を控えた3月上旬に受けたという、あるインタビュー記事を読んで、笑顔が見られなかった理由がわかったような気がした。その記事(毎日新聞3月27日朝刊。ただし東京版では記事は掲載されておらず、滋賀の方のツイートで知りました)では、記者の「判決が楽しみか?」という問いに、「あんなひどいことをされて勝訴しても喜ばないと思う」と答えている。

本人にとってみれば、理不尽なことに巻き込まれ、しなくてもよい戦いを強いられ、2年という貴重な時間を奪われたのだ。この言葉は、重い、重い意味を持つ。

でも、インタビューには、その続きがある。引用させていただく。

「でも、2年が戻ってこないといって落ち込んでいては駄目。前向きにいく。」

「1番も勝てなくても、そこから立ち上がるのが私の人生。」

蒼国来関の土俵復帰は、4月3日、相撲協会が開く臨時理事会で正式決定する見込みだ。復帰場所がいつになるかは、これからだと思うが、たとえ1番も勝てなくても蒼国来さんは諦めないと思う。この裁判を戦い抜いたように。

そして、勝手連は、引き続き、そんな蒼国来さんの応援団になる。(了)

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その2)

(昨日の続きです。)

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東京地裁前で、勝訴を勝ち取った蒼国来関を見送った後、勝手連は、後援会の方々と一緒に両国国技館へと向かった。目的は、国内外からいただいた、蒼国来関土俵復帰を願う2万3118名分の署名を、日本相撲協会に届けるためだ。

署名は、厚さ15センチほどのものが3冊。人づてで2万1812名分、勝手連が集めたものを含む街頭署名960名分、そしてWEB署名346名分。多くの人の思いがこもった、ずっしりと重い3冊。ちなみに綴じてあるひもの色は、蒼国来関の「蒼」である。ひもは、願いを込めて、関取自ら結んだのだという。

Img_1521 国技館前に到着するものの、正門はぴったり閉じられていた。そこで、場所開催中、力士や関係者が出入りする南門で警備員さんに署名を届けにきた旨を伝えると、警備員さんが協会事務局に連絡を入れる。受け取りを拒否されるかもしれない、とドキドキしたが、勝訴した暁には署名を提出に行くことを事前に伝えてあったこともあり、すんなり「どうぞ中へ」ということになった。

後援会長と勝手連代表2人が手分けして3冊を持つ。協会事務局は相撲博物館の向かいにある。3人が中へ入ると、紺色のジャンパーを来た親方が対応に出てくれた。山科親方だ。

「本日、東京地裁にて、蒼国来関勝訴の判決が出ました。これを受けて、相撲協会におかれましては速やかに蒼国来関の土俵復帰を認めていただくよう、ここに大相撲ファン2万3118名分の署名を以ってお願いいたします」といって差し出す署名を、山科親方がしっかり受け取ってくれたのが、ガラス越しに見えた。

署名を渡して事務所の外に出た3人をメディア各社が囲む。後援会長が、「司法ではっきりと解雇無効と幕内力士の地位が確認されたのだから、協会には英断を下してほしい。我々は相撲協会を敵視しているわけではない、温かく蒼国来を迎えていただければありがたい」ということを語っているのが記者の肩越しに聞こえてきた。

南門を出ると、今度は勝手連代表のH氏がメディアに囲まれる。ちなみに、この日のH氏のネクタイの色も蒼国来関の「蒼」だ。 コメントを求められて答えるH氏(このニュースの最後に映ります)。

ここで、私も公共放送の記者から取材を受けた。カメラを向けられるというのはものすごく緊張する。「相撲協会には変わってほしいですよね」という質問に、「ファンの声を聞いていただいて早く復帰を認めてほしい。支援者である私たちは協会に敵意をもっているわけではない。そこは蒼国来さんが戻るところなので……」といったようなことを答えたことを覚えている(が、ニュースで放送されたかどうかはわからない…^^;)。

署名を無事提出した支援者。次は、ロイヤルパークホテルで開かれる蒼国来関の記者会見場へと向かった……(続く……)

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