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「岳陽楼親方」とか「黄鶴楼親方」にならなくてよかった?

昨日は日がな、某社の国語教材の校正(そんな仕事もしてるんです)。

テーマが和歌と漢詩でした。

その中に、「田子の浦に 打ち出て見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ」(山部赤人)という句があり、「そういえば、相撲の年寄名は和歌由来」という話を思い出しました。

高島俊男さんが『お言葉ですが…』の最初の巻で「年寄名は歌ことば」という題で書いていらっしゃるので、読んだことがある方がいらっしゃるかもしれませんね。上の句で言えば、「田子の浦」「富士ヶ嶺」などがそう。

「高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ」(権中納言匡房)

この句には、「高砂」「尾上」などが見られます。

現代では、売り買いするのに数億と言われ、いろんな弊害を生んでいると言われる年寄名。その扱いを相撲協会が一括管理するかどうか、現在、話し合われているようですが、そういう生々しい話はおいておいて、あらためて一つ一つ見ると、きれいな言葉だよなあ。

これが和歌ではなく、漢詩から取ったとしたら「岳陽楼親方」や「黄鶴楼親方」なんていうことになっていたかもしれない、と、丸谷才一さんだったかな(記憶曖昧)、おっしゃっていたのを思い出しました。

高校時代、漢文が苦手だった私。個人的にも和歌からでよかった、と思います。

で、上に出てきた高島俊男先生の本、久々にアフィリエイトなど、貼ってみる。同じ本に「相撲ことばは日本語の花」というのもあって、これも面白いです。(^^)


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コメント

そうだったんですかあ〜。
ミスマッチのような不思議がなんとなくマッチ!
カラダは大きいが、名前はカッコいいと思っていました。

今後も華のある相撲道を続けてほしいですね。

投稿: アルキメデス | 2012年2月 8日 (水) 15時20分

確かにミスマッチですよね。
でも、そこがまたいい。

古今和歌集、新古今和歌集、
じっくり読みたくなりました。

投稿: 青山美佳 | 2012年2月 9日 (木) 08時39分

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