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「中間的な存在」の重要性

Twitterでは、私の興味範囲に従って、日本語教育関係、英語教育、相撲、野菜づくりなどについてのツイートがTL に流れてきます。

先日、家庭菜園の起業支援をしていらっしゃる方の、次のようなツイートが流れてきました。

ココカラ引用――

「農業の暗黙知を見える化を考える上で、僕は3つの有利な条件を持っている。第一は、農作業と都会人、両方に軸足を置く、中間の存在だということだ。 http://amba.to/Ad8ccU 」

――引用ココマデ

詳しくは、この方のブログを読んでいただいたほうがよいと思うのですが、このツイートを読んで、「中間的な存在」というのは、どの世界でも必要だなあ、と思ったのです。

専門性を極めたスペシャリストがいることは無論大事だけれど、専門性が高くなっているが故に、それを他業界の人、あるいは一般社会に「翻訳して」伝えていく人が求められているんじゃないかと思うのです。

「業界内の人だけわかってればいい、説明してもどうせわかんないから」「えー、それって業界では常識」の部分を、ほかの業界の人が理解できるように、興味を持てるように、うまく説明できる人。

そういう人があらゆるところに必要なんじゃないかなあ。

うーむ、まとまらぬままに・・・。


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コメント


デザインする立場も近いのかも。
ようは目的がどこにあるのか、だと思います。

投稿: アルキメデス | 2012年2月14日 (火) 16時18分

アルキメデスさん、ありがとうございます。

そうですね、デザインも、
何かをわかりやすく魅力的にみせるために
なされるものだと思うので、
通じるところがあるかもしれませんね。

よい「中間的な存在」がいることは大事。


投稿: 青山美佳 | 2012年2月14日 (火) 19時49分

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