相撲

エジプト出身力士・大砂嵐さんの講演会に行ってきた!

Photoおととい、国際交流基金の四ツ谷事務所で開催された、エジプト出身力士・大砂嵐さんと、その師匠である大嶽親方(元・十両大竜)の講演会に行ってきました。大砂嵐さんはアラビア語で語り、通訳(この方がすごいイケメン!)がついての講演でした。

大砂嵐さんは、14歳のときに相撲と出会い、以来、相撲のとりこに。国で道場にも通って相撲を取るようになったといいます。でも、インターネットで日本の相撲を見ると、どこか違う。ある日、コーチに聞くと、「俺達がやってるのはアマチュア相撲だ。日本の相撲はプロ。プロとアマは違うんだよ」と言われ、やがて、日本に行き、大相撲の世界に入りたい、と思うように。

でも、最もハードルが高かったのが「最初の入り口を見つけること」でした。実は、日本の大相撲界には「外国人力士は1部屋に1人」という「申し合わせ(親方同士で決めている暗黙のルール)」があります。そのため、入れる部屋は限られる。当時、外国人力士がいない部屋は12、3しかなかったそうで、その部屋に手紙・メールを送ったといいます。でも、ほとんどの部屋からは返事がなく、唯一、返事があったのが大嶽部屋でした。ただ、当時、大嶽部屋は先代・大嶽親方(元貴闘力)の問題でガタガタしていて、とても外国人力士を受け入れられる体制ではなく、お断りの返事だったのだそうです。

ただ、大砂嵐さんは、それでも諦めず、まずは欧州大会で実績を積もうと考え、多くの大会で優秀な成績を残すことを優先させました。そして、その実績を引っさげて2011年9月に来日。とはいえ、入門のあてがあったわけではなく、直接、部屋を回り、入門させてください、とお願いするという作戦に出ます。最初の3つの部屋は、外国人力士はいないと思っていたら、すでにいることがわかりNG。「うちは外国人、とらないから」と、けんもほろろに断った部屋(どこだ!ヽ(`Д´)ノ )もあったそう。そして、7つ目に回ったのが大嶽部屋でした。

大嶽親方は、前に手紙が来ていたこともあり、「そんなに言うなら」と、まずは1カ月、部屋で一緒に生活をしてみて、どんな青年か、本当に日本でやっていけるのか、見極めてから入門させようと思われたそう。九州場所も近いので、九州の宿舎に連れていき、まず毎朝、トイレ掃除をするよう、命じました。トイレは親方の部屋の前にある。すると、毎朝4時になると、掃除をして水を流す音が聞こえてくる。毎朝4時起きで掃除を続けるのは大変なこと。相撲にかける気持ちも強いことがあらためてわかり、そこで入門を許可しました。

「日本の相撲の世界に入りたい、横綱になりたい、そういう夢を持った青年の手助けをするのも、私の役目かもしれない、と思ったんです」と大嶽親方(ここで私、落涙。よくぞ、入門を許してくださった……)。

大砂嵐さんは、デビューするや、序ノ口でいきなり7戦全勝優勝。でも、大嶽親方は「いきなり優勝したからといって奢るな。初心を忘れ、強いから何をしてもいいという態度になり、人が離れていったヤツをたくさん見てきた。お前はそういう力士になってはいかん」と諭したそう。

「日本人、外国人も関係ない。強いにこしたことはないけれど、強い、弱いも正直、どうでもいいんです。強くても謙虚で感謝を忘れない。私は、そういう『人として尊敬される力士』を育てたい。大砂嵐にもそういう力士になってほしいんです」と大嶽親方(ここで、私、また落涙)。

大嶽親方は、元十両の大竜。相撲界において、十両だった人が部屋を持つことは大変なこと。しかも、継承したのは、あの名横綱・大鵬さんが創設した部屋。この継承するにあたっての話も、また涙ものだったのですが、長くなるので、ここらへんで、いったん、やめておきます。(^_^;)

大嶽部屋に興味を持たれた方、こちらが部屋のサイトです。ここの大嶽親方のメッセージも泣ける……

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蒼国来関、本当におめでとう!

今日4月3日、相撲協会において、臨時理事会が開かれ、正式に蒼国来関の土俵復帰が決まりました。理事会の後、北の湖理事長からは謝罪の言葉があったということ。

 

また、なぜ、このような「冤罪」ともいうべき事態になってしまったのか、これからあのときの調査が妥当であったのか、検証もなされるということです。

 

まさに完全勝利です。

 

これで、やっと、本当に「エンさん、おめでとう!」と言えます。思い切り、土俵で暴れてください。いい相撲を見せてください。それを何より楽しみにしています(でも無理しないでね……(^_^;))。

外部調査委員のこと、裁判で聞いた許せない言葉などに対して、いろんな思いはあるのですが、今日はいろいろ考えず、 乾杯したいと思います。

おめでとう、エンさん! ( ^ ^ )/□☆□\( ^ ^ )

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その3)

(前回の続きです)

蒼国来関土俵復帰を嘆願する大相撲ファン2万3118名分の署名を、相撲協会に無事提出し、勝手連はその足で、夕方5時半からロイヤルパークホテルで行われる、蒼国来関本人の記者会見場に向かった。ちなみにこのロイヤルパークホテルは、蒼国来さんが十両に昇進したときに祝賀パーティーが開かれ場所だ。

Img_1525会場に着くと、各社テレビのカメラがすでにセッティングされて、記者席も8割方、埋まっていた。やはり注目の判決だったのだったことが伺える。

勝手連も青いTシャツを着たまま、記者席の後ろのほうの席に控えて会見を聞くことにした。

時刻になり、席が整えられると、弁護士先生6人とともに蒼国来さんが入場。地裁を出たときと同じ、薄い緑色の着物が、カメラのフラッシュを受けてひときわ美しく見えた。表情はというと、幕内力士としての地位が確認されたという判決を受けたからか、関取らしい、きりっとした勝負師の威厳を取り戻しているように見える。

冒頭、勝訴を受けて「やっとこの長い2年間で、こういう結果が出ましたが、それでもあの日のことは一時も忘れてないし、一日も早く土俵に戻りたい」と語る蒼国来関。一貫して主張してきたことで、まったくブレることがない。

その後、約30分、記者会見は続くのだが、記者会見の全文は、蒼国来関本人のサイトにあるので、ここで説明するより、そちらをお読みいただいたほうが、内容はよくわかると思います。ぜひ、お読みください。

* * * * * * * * *

記者会見を見ていて、気になったことが一つあった。勝訴の判決を聞いて地裁の外で写真撮影があったときもそうだったのだが、私が見る限り、この日、蒼国来さんの、いつもの笑顔を未だ見ていない気がした。蒼国来さんは、決して笑わないわけではなく、囲む会などで話をしているときはむしろ、よく笑うし、とても素敵な笑顔の持ち主だ。

実は、記者会見が終わった後、青いTシャツを着ていたせいか、とあるワイドショーの取材クルーにカメラを向けられ、「勝訴したときの蒼国来さんの様子はどうでしたか?」と聞かれた。普通は「とても嬉しそうでした」とか、答えるほうがストーリーになるのだろうけれど、どうしても、そう答えられなかった。「うーん、緊張されているのか、あるいは勝訴は当然と思っていたからなのか、それほど嬉しそうな表情では……」とかしか、答えられなかったのだ。

後日、判決を控えた3月上旬に受けたという、あるインタビュー記事を読んで、笑顔が見られなかった理由がわかったような気がした。その記事(毎日新聞3月27日朝刊。ただし東京版では記事は掲載されておらず、滋賀の方のツイートで知りました)では、記者の「判決が楽しみか?」という問いに、「あんなひどいことをされて勝訴しても喜ばないと思う」と答えている。

本人にとってみれば、理不尽なことに巻き込まれ、しなくてもよい戦いを強いられ、2年という貴重な時間を奪われたのだ。この言葉は、重い、重い意味を持つ。

でも、インタビューには、その続きがある。引用させていただく。

「でも、2年が戻ってこないといって落ち込んでいては駄目。前向きにいく。」

「1番も勝てなくても、そこから立ち上がるのが私の人生。」

蒼国来関の土俵復帰は、4月3日、相撲協会が開く臨時理事会で正式決定する見込みだ。復帰場所がいつになるかは、これからだと思うが、たとえ1番も勝てなくても蒼国来さんは諦めないと思う。この裁判を戦い抜いたように。

そして、勝手連は、引き続き、そんな蒼国来さんの応援団になる。(了)

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その2)

(昨日の続きです。)

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東京地裁前で、勝訴を勝ち取った蒼国来関を見送った後、勝手連は、後援会の方々と一緒に両国国技館へと向かった。目的は、国内外からいただいた、蒼国来関土俵復帰を願う2万3118名分の署名を、日本相撲協会に届けるためだ。

署名は、厚さ15センチほどのものが3冊。人づてで2万1812名分、勝手連が集めたものを含む街頭署名960名分、そしてWEB署名346名分。多くの人の思いがこもった、ずっしりと重い3冊。ちなみに綴じてあるひもの色は、蒼国来関の「蒼」である。ひもは、願いを込めて、関取自ら結んだのだという。

Img_1521 国技館前に到着するものの、正門はぴったり閉じられていた。そこで、場所開催中、力士や関係者が出入りする南門で警備員さんに署名を届けにきた旨を伝えると、警備員さんが協会事務局に連絡を入れる。受け取りを拒否されるかもしれない、とドキドキしたが、勝訴した暁には署名を提出に行くことを事前に伝えてあったこともあり、すんなり「どうぞ中へ」ということになった。

後援会長と勝手連代表2人が手分けして3冊を持つ。協会事務局は相撲博物館の向かいにある。3人が中へ入ると、紺色のジャンパーを来た親方が対応に出てくれた。山科親方だ。

「本日、東京地裁にて、蒼国来関勝訴の判決が出ました。これを受けて、相撲協会におかれましては速やかに蒼国来関の土俵復帰を認めていただくよう、ここに大相撲ファン2万3118名分の署名を以ってお願いいたします」といって差し出す署名を、山科親方がしっかり受け取ってくれたのが、ガラス越しに見えた。

署名を渡して事務所の外に出た3人をメディア各社が囲む。後援会長が、「司法ではっきりと解雇無効と幕内力士の地位が確認されたのだから、協会には英断を下してほしい。我々は相撲協会を敵視しているわけではない、温かく蒼国来を迎えていただければありがたい」ということを語っているのが記者の肩越しに聞こえてきた。

南門を出ると、今度は勝手連代表のH氏がメディアに囲まれる。ちなみに、この日のH氏のネクタイの色も蒼国来関の「蒼」だ。 コメントを求められて答えるH氏(このニュースの最後に映ります)。

ここで、私も公共放送の記者から取材を受けた。カメラを向けられるというのはものすごく緊張する。「相撲協会には変わってほしいですよね」という質問に、「ファンの声を聞いていただいて早く復帰を認めてほしい。支援者である私たちは協会に敵意をもっているわけではない。そこは蒼国来さんが戻るところなので……」といったようなことを答えたことを覚えている(が、ニュースで放送されたかどうかはわからない…^^;)。

署名を無事提出した支援者。次は、ロイヤルパークホテルで開かれる蒼国来関の記者会見場へと向かった……(続く……)

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蒼国来関、勝訴の日――ある勝手連が見たその日(その1)

2013年3月25日(月)、午後3時、東京地裁527法廷――先に着席していたのは相撲協会側代理人3人。いつもと変わらない、やる気があるのか、ないのかわからないような表情だ。

その後、原告・蒼国来関側の弁護士先生方6人と蒼国来関が颯爽と入廷し着席する。蒼国来関は、春らしい薄い緑色の着物姿。頭には力士の象徴である髷がきれいに結われてのっている。だが、眉間にちょっとシワが寄り、口もきゅっと結ばれ、表情は緊張しているように見える。

裁判長が入廷し、冒頭2分、ニュース用の法廷映像を撮るための撮影が入る(これがニュースで流れた映像)。身じろぎするのさえ憚れるような静寂に法廷は包まれた。

撮影が終わり、「その判決」は、2年あまりかかった裁判にしては、あまりにも短く、あっさりと裁判長の口から言い渡された。――「主文。原告の幕内力士としての地位を確認する(緊張しすぎていたので、正確には覚えていないのだが、「地位確認」という言葉が聞き取れた)」。その後、幕内力士であると認定される時期と、その間の給与の支払い金額が読み上げられた。

主文の読み上げは、おそらく2、3分のこと。一瞬、この主文の意味がわからなくて、支援者同士、顔を見合わす。退廷して廊下で、蒼国来関側のF弁護士の「完全勝訴だよ。幕内力士としての地位が確認された」という言葉を聞き、やっと「勝訴」だということが確認できた。

速報を待っている仲間がいるので、「【速報】蒼国来関、勝訴!」をツイートする。が、建物内は圏外なのか、ツイート失敗。5階から下に降りるエレベーターが遅く感じる。建物の外に出てやっとツイートを流すことができた。

地裁の外に出ると支援する人たちが青いTシャツを着て待っていた。支援者たちの前に、勝手連の中心となって活動してきたH氏が「勝訴」の垂れ幕をもって現れる。H氏は、見かけはクールで、普段、あまり感情をあらわにしない印象(心はものすごくアツいのだけれど……^^;)だったのだけれど、そのH氏の目が赤くなっていた。それを見た瞬間、私の涙腺も崩壊した。

続いて、弁護団と一緒に蒼国来関が現れる。支援者から「エンさん、おめでとう!」の声が飛ぶ。その横で、「よかった、ほんとによかった……」と涙を流しながら抱きあう支援者たちの姿。一緒に国技館横で署名活動をした仲間の姿もある。この日のために島根から駆けつけた仲間、乳飲み子をだっこして駆けつけた仲間、来月出産を控える仲間……。

エンさんを囲む支援者たちの姿を報道各社が写真撮影。それが翌日の各社新聞に大きく掲載された写真だ。

判決の際は、実は主文のほかに判決理由が書かれた長い文書が裁判所から渡される。蒼国来関と弁護団はそれを確認してから記者会見に臨むため、地裁を後にした。我々勝手連はそれを見届けて、その足で、相撲協会のある両国国技館に向かった。蒼国来関の土俵復帰を求める、国内外から集まった2万3118名にも上る署名を協会に渡すために……(続く)。

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蒼国来さんの裁判、本日、結審を迎えます

今日、蒼国来さんが土俵復帰を目指して戦ってきた裁判が結審する。第1回公判は昨年7月14日だったので、戦いは1年以上に及んだことになる。最初に取材で話を聞いた時、「解雇と言われた日は悔しくて眠れなかった」と、「冷静に」話してくださった。

最初は「そうだよなあ。自分はやっていないのにやったと言われたら悔しいよなあ」と思うだけだった。だが、裁判をずっと傍聴してきて、「悔しくて眠れなかった」の一言に込められた意味が、ものすごく重いものだということがわかってきた。そしてそれは、私の中でも怒りに変わった。

最初からクロと決めつけての調査。蒼国来さん側は、携帯電話や預金通帳を調べてほしいと言ったのに、調査委員は調べなかったことも裁判では、明らかになった。こんないい加減な調査で解雇となり、汚名を着せられてしまった蒼国来さんの胸の内を思うと、本当に怒りしか出てこない。

蒼国来さんは中国・内モンゴルの出身。元はレスリング選手だったが「相撲以外のスポーツはもうやらない」と決意して来日したという。自分が相撲で活躍することで、内モンゴルのことも知ってほしいという思いもあったという。一生懸命稽古し、やっと幕内に上がった矢先、今回のことが起きた。

努力して実力をつけ、これからやっと活躍できる、という思いでいたところに、まったく身に覚えのない罪で解雇と言われたとしたら、あなたはどう思うか。しかも、異国の地で。蒼国来さんの「悔しくて眠れなかった」には、こういう意味も含まれている。

取材で「冷静に」語ってくれたのは、ものすごく強い心を持っているからだと思う。でなければ、この長い裁判を戦えないと思う。幸い、蒼国来さんには心強い弁護団がついている。裁判の様子を見ていると、彼らも単なる仕事としてではなく、蒼国来さんを本当に思って戦っているのがわかる。

蒼国来さんは、こんなことがあっても、日本が嫌いになったわけではないという。それは、皮肉なことだけれど、今回の件で、自分を支援してくれる人や、「頑張れよ」と言ってくれる人と、たくさん出会ったからだと言う。こんな一途に相撲にかけてきた青年の思いが届くことを願ってやまない。

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蒼国来さん裁判傍聴_本人口頭弁論に行ってきた

先日7月19日は、蒼国来さんの裁判でした。この日は蒼国来さん自身が語るとあって、傍聴席51席は蒼国来さんを支援する人で満杯。せっかく並んだのに入れない人も出るほどでした。

原告側(蒼国来さん側)の主弁論では、故意の無気力相撲をしたと調査委員が認定したもとになった春日錦との対戦について、本当に故意に無気力相撲を取ったのか、ビデオを見ながら検証。

土俵上の細かい動きについて、コマ送りの映像を少しずつ止めながら、

Q(原告側代理人):春日錦はなぜ、不利な体勢になっているのに蒼国来の右腕をつかもうとしているのか?
A(蒼国来さん):必死で残ろうとしているから

Q(原告側代理人):なぜ勝負がついたのに蒼国来は回しから手を離さなかったのか
A(蒼国来さん):相撲のルールでは勝ちが決まったら相手にケガをさせないため、回しから手を離すことになっているが、勝ちたい気持ちが強かったから離さなかった

……など、懸命に相撲を取ろうとしていたことを説明し、2人(蒼国来・春日錦)とも、ガチンコで相撲を取ろうとしていたことを証明していきました。映像を見る限り、蒼国来さんの説明は、まったく不自然なところはなく、聞いていて納得できるものでした。

さらに、調査委員会の調査の詳細についても確認が行われました。「星の精算は金で行った」と春日錦が言っていたとされているため、蒼国来さんは貯金通帳を証拠品として出して検証。清算金と思われる不自然な金の出入りはないことが判明しました(蒼国来さんは、貯金のほとんどを中国に住むご両親への仕送りに使い、その記録は中国にある銀行の送金記録にちゃんと残っている。その送金記録も証拠として提出されました)。

また、調査委員会は蒼国来さんが「通帳を調べればわかるから調べてください」と訴えたにもかかわらず、通帳を調べることさえせず、ただ「クロだからクロ」と引退を迫った、ということも明らかになりました。この件だけみても、いかに杜撰な調査だったかがわかります。

一方、協会側の反対尋問では、上記の杜撰な調査をもとに調査委員会がまとめたという報告書をもとにして、「早く昇進したいとプレッシャーを感じていた、と述べているが、そのために八百長をしたのではないか」とか、妄想ともいえる推論を蒼国来さんにぶつけ、ことごとく論破されていた印象。相撲内容についての尋問でも、相撲に詳しい人からすればトンチンカンとしか思えぬ質問を繰り返し、傍聴席(相撲をよく見ている人多し)からは、幾度となく失笑が漏れました。

一番笑ってしまったのは、蒼国来さんの過去の戦歴を聞いていく場面で、協会側が突如、証拠として出してきたのが「Wikipedia」の蒼国来さんに関するページをそのままプリントアウトしたものだったこと。Wikipediaを裁判の証拠として出すってさー、どんだけ……(以下略)。もちろん、これにも会場から盛大な失笑が聞こえました。

裁判はすべて日本語で行われました。蒼国来さんは日本語が流暢すぎるので、ともすると、日本語が母語ではないことが忘れられてしまう。先に挙げた「プレッシャー」という言葉も、彼の話の文脈をとらえると、「頑張らないといけない」ぐらいの意味だったように思いました。それなのに、その言葉を表面的にとらえて妄想推論をぶつける協会側代理人。蒼国来さんは、それにもちゃんと丁寧に、誠実に説明していましたが、ここは母語ではないということを考慮しないと可哀そうだ、と思った次第です。

またまた長文になってしまいました。裁判は10月まで続くことになりました。引き続き、応援します。裁判の記事、サンスポにも出ました。参考まで。

追記:新聞記事の「涙ながらに」という表現。弁論の間、ずっと涙を流して語っていたようなイメージになるけれど、そうではなくて、終始、冷静に、丁寧に答えていたのが実際です。

涙が流れたのは、主弁論の最後に「何か言いたいことはあるか」と尋ねられ、「調査委員の調査は許せないし、頭から離れない。(ここで声がつまる)真実が明らかになるまで諦めない」といった、本当に最後の一瞬のこと。

これまで知る限り、いつも気持ちが安定してて、あまり感情をあらわにする姿は見たことがない(弁護士さんもそのように言っていた)のですが、いろんな思いがあって涙が堪えられなくなったのだ、というのが、見ていた私の印象でした。

さらに追記:この文章を、老叮噹‏さんが中国語に訳してくださいました。→ コチラ
老叮噹さんも同じく、蒼国来関を応援してくださっています。
中国語を解する方がいらしたら紹介してください。

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蒼国来関を囲む会(9回目)に参加してきました

昨日は、「蒼国来関を囲む会」に出席してきました。

このブログで何度も書いているので、ご存じの方も多いと思いますが、蒼国来関(以下、エンさん)は、中国・内モンゴル出身の力士。昨年、角界を揺るがした八百長問題で、一方的に「クロ」と決めつけられて引退勧告を受け、「やっていないのに従うことはできない」と従わなかったため、「解雇」とされてしまった方です。

今、土俵復帰を目指して裁判で戦っています。

だいたい毎月1回、裁判の進捗状況の報告と、エンさんがどのような思いでいるのか、どんな生活をしているのかという現状報告をする機会として、「蒼国来関を囲む会」が開かれています。

昨日は、その第9回でした(案内はコチラでいつも出ます。誰でも参加できますよ〜。ちなみに次回は5月12日(土)だそうです)。

エンさんは、春から社会人ラグビーチームのトレーニングに参加しはじめた、ということ。昨日は、その様子を撮影したビデオの上映がありました。さすがアスリート。体を動かしているときはいきいきとした表情をされていました。

ラグビーのチームメイトとの交流も深まったようで、「皆さんが応援してくれる」と感謝の言葉を述べるエンさん。

以前、インタビューさせていただいたときに、今回の件を通して、日本が嫌いになったのではないか、と聞いたら「日本や日本人が嫌いになったことはない」と明言されていたのですが、昨日は、それがリップサービスなんかではなく、本当にそのように思われているんだな、ということがわかりました。

土俵から追放しようとしている日本人がいる一方で、応援しようとしている日本人もいる。その人たちに出会ったことが、エンさんにとっては力になっているようです。もちろん、それは「応援しよう」と思わせるエンさんのお人柄があってのこと。

土俵を追われてから1年。裁判は夏ぐらいまで続きそうな見通しです。協会側は、この事件は解決済みとしたい姿勢がありあり。

一方で、弁護士さんやご本人のお話を聞けば聞くほど、特別調査委員会の調査は杜撰だったことがわかり、怒りがわいてきます。ヽ(`Д´)ノ 

国ではレスリングやボクシング選手としても活躍していたエンさん。違う道を進めばいいじゃないか、という人もいるかもしれません。でも、来日するときは、「相撲は、自分がやろうと決めた最後のスポーツ」という強い気持ちを持ってやってきた、といいます。

ラグビー選手に混じってトレーニングする姿も素敵♡でしたが、やっぱり一番見たいのは、キリッとマゲを結い、まわしをしめて土俵に立つ姿です。

昨日、出席して、あらためて思いました。「とことん応援するよ、エンさん!」

●追記:中国で、SEをしていらしたという老叮噹さんという方が、この記事を、中国語に訳してくださいました。コチラのページです。もし、中国語を解するお知り合いの方がいらしたら、ぜひ紹介してください。

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「岳陽楼親方」とか「黄鶴楼親方」にならなくてよかった?

昨日は日がな、某社の国語教材の校正(そんな仕事もしてるんです)。

テーマが和歌と漢詩でした。

その中に、「田子の浦に 打ち出て見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ」(山部赤人)という句があり、「そういえば、相撲の年寄名は和歌由来」という話を思い出しました。

高島俊男さんが『お言葉ですが…』の最初の巻で「年寄名は歌ことば」という題で書いていらっしゃるので、読んだことがある方がいらっしゃるかもしれませんね。上の句で言えば、「田子の浦」「富士ヶ嶺」などがそう。

「高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ」(権中納言匡房)

この句には、「高砂」「尾上」などが見られます。

現代では、売り買いするのに数億と言われ、いろんな弊害を生んでいると言われる年寄名。その扱いを相撲協会が一括管理するかどうか、現在、話し合われているようですが、そういう生々しい話はおいておいて、あらためて一つ一つ見ると、きれいな言葉だよなあ。

これが和歌ではなく、漢詩から取ったとしたら「岳陽楼親方」や「黄鶴楼親方」なんていうことになっていたかもしれない、と、丸谷才一さんだったかな(記憶曖昧)、おっしゃっていたのを思い出しました。

高校時代、漢文が苦手だった私。個人的にも和歌からでよかった、と思います。

で、上に出てきた高島俊男先生の本、久々にアフィリエイトなど、貼ってみる。同じ本に「相撲ことばは日本語の花」というのもあって、これも面白いです。(^^)


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第6回「蒼国来を囲む会」に行ってきました

昨日は、第6回「蒼国来を囲む会」に行ってきました。

『月刊日本語』2011年10月号の特集で、蒼国来さんにインタビューをさせていただいたのが縁で、第2回からずっと出席させていただいています。

根拠の乏しい“証言”に基づいて「故意の無気力相撲に関与した」という疑いをかけられ、土俵を追われてしまった蒼国来さん。現在、土俵復帰を求めて裁判で闘っています。

裁判を起こさなければならなくなった経緯と、その後の経過はご本人のブログに詳しいので、ここでは省きます。

これまでお会いした限り、いつも穏やかな表情でゆったり構えているように見えた蒼国来さんですが、昨日は、最後の挨拶で涙ぽろぽろ。

「去年の今頃は、まさかこんなことになるとは思ってもなかった」

「悔しい思いはあるけれど、誰かを恨んでも仕方ない」

「いつも支えてくれる皆さんへの感謝の気持ちは忘れません」

……集まった人たちの間からも鼻をすすりあげる音が……。

辛い気持ち、悔しい気持ちを普段は押し殺して前を向こうとしているんだな、ということが伝わってきました。

アスリートは、肉体的にもっとも充実している時期がある。蒼国来さんは28歳。まさに、今がその時だと思う。

あらためて早い土俵復帰を、と願った夜でした。

追記:このブログの内容を中国語に翻訳して紹介してくださった方がいらっしゃいました。中国語がわかる方、コチラもどうぞ。(2012年2月14日)


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